孫邵の長男『孫乂』−三国志にいそうな奴 第八回−
孫乂(そんがい)
字は伯度(はくど)
揚州呉郡の人
父は呉の初代丞相の孫邵
生没年:193〜224
史実
同年代の張温とは兼ねてから仲が悪くお互いに侮蔑していた。
孫邵が張温らの弾劾によって一時丞相を辞すると、
孫乂は張温らの名声重視の極端な人事を陸遜らと共に批判した。
この一件以降も張温の行動を度々批判している
曁艶、徐彪が自殺に追い込まれ、二人と繋がりのあった張温が失脚すると、
張温の弟である張祗、張白の官も取り上げるよう孫権に上奏した。
孫乂はまもなく病に伏し死去した。
子はいなかったという。
演義
三国志演義には登場しない。
以上、孫邵の長男『孫乂伝』でした。
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